映画監督の行定勲監督がAbemaTVで話していたこと

x映画監督の行定勲監督が4/20放送のAbemaPrime(AbemaTV内番組)で話していたことが、震災後私が考えていたこととつながりましたので記録として覚えている範囲で書き起こして、ここに残しておきます。

私自身が最も心に残ったのは「信じがたいような過酷な状況の中、たった少しの明るさや前向きなエネルギーが残っている人からそれを奪わないで」という部分でした。

以下監督の発言部分。

いわゆる本震と呼ばれる16日未明の地震は熊本の高層ホテルにいた。部屋は10階にあり、まさにその時はお風呂にお湯をためていた。

地震がきて「ためていたお風呂のお湯が全部無くなっていた」その位強い揺れを体験した。何が起きているか把握できなかった。

その後避難所に向かった。そこで被災者の方とたくさん話しをした。その中で東京から来た報道の人間が車で片道30~40分のところにある温泉施設から取材に来ていることを知った。ということは彼らはそこに寝泊まりしている訳である。お風呂もつかれるしご飯も食べれる。でもそういった情報はその避難所で共有されていなかった。

被災者の方とたくさん話しをして温泉施設の風呂に入ってくるのを促した。交通手段がないなら皆で乗りあわせて行けば良いと。そうして少しの人がそういうならと重い腰をあげた反面、ニュースではちょっとだけでも希望や明るさを持っている人から、そういったものを奪ってしまうような強烈過ぎる映像ばかりだった。今少しだけでも希望・明るさ・元気が残っている人は貴重なんだ。そんな貴重な人からエネルギーを奪わないでほしい。彼らを今より更に絶望させないであげてほしい。

すぐに支援物資の話を大々的にしていても正直いまいちピンとこなかった。今やってほしいのは人命救助だと強く思った。

監督の作品の中で「うつくしいひと」という作品がある。中編映画で熊本を舞台にした作品である。このアングルが好きなんだよねと撮った熊本城が貴重な資料映像になってしまった。

たった4日しか現地にいなかったが、東京に帰ってきてからも頭でここは東京だと知っていても大きな音や揺れのようなものを感じると身構えてしまう。それだけ精神が疲弊しているのを感じた。私でこのレベルなのだから現地にずっといる人はどれだけ精神的に極度の状態で疲弊しているのだろうかと想像した。

監督のご両親は南阿蘇村にお住みだそうでお怪我こそされなかったようですが、放送内ではご実家の割れたガラスのお写真などを映していました。

・・・最後に。実は私は数年前静岡で行定監督のイベントに参加したことがあります。一緒に集合写真取らせてもらいました。人の熱意が人を動かすと信じている私にとって、とても心に残る話でした。映像作品を創る専門職である映画監督として何を発言するべきか相当考えて発言されていることと推測しました。私の思い込みで脚色している部分があるかもしれませんが何か感じることがあれば嬉しいです。最後までお読み頂きありがとうございました。

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